焼き鳥のかもちょう

鴨と長沢がなんか書いたりするとこ

気持ちの寿命

最近特に考えていること。


あれほど熱中したコンテンツ。
あれほど聴き続けたアーティスト。
あれほどプレイしたゲーム。

人の心は少しずつ、本当に少しずつ減っていって。
気づいたら情熱を失ってしまっている。

ある程度防ぐ手立てはある。
熱量の交換だ。
新しい供給があったとき。新たな側面を発見したとき。新たな達成があったとき。
誰かに話したくて仕方ないという気持ち。
それをぶつけられる場。相手。

だが元々狭く深くいくタイプなので、
紹介してくれた人を熱量で追い越しすぎてしまったり、
流行りが終わっていて自分以外もう触っていなかったり。
気づいたら自分ひとりになっているのが常だ。

それでも新たに知り合いに布教したり、新たなコミュニティを探したり。
新たな供給がきて自分だけでも持ち直したり。
しかしこのコロナ禍はそれらを断ち切り、そして1年はあまりにも長すぎた。

自分の手からいろんな好きだったものがこぼれていくのを感じる。
失いたくないという愛着、未練、願望。
それだけでは喪失を食い止めることはできない。
いつか完全に失ってしまう前に、また情熱をもつことはできるのだろうか。