焼き鳥のかもちょう

鴨と長沢がなんか書いたりするとこ

伊瀬谷四季の語尾から予想される青森との繋がり

※先に断っておきます。公式の人絶対ここまで考えてない。
※SideMにそんな明るくなく、伊瀬谷四季に詳しくはないのでなんか間違ってたら教えてください。
※半分ぐらい実体験。


伊瀬谷四季の特徴といえば語尾に「~っす」とつくことが挙げられる。
そこから勝手に拡大解釈して伊瀬谷四季と青森のつながりについて考察しようと思う。


今回のテーマはずばり、

「~っす」という語尾は津軽弁由来なのではないか

ということ。


ちょっと待って、最後まで話を聞いてほしい。

津軽弁。単語もイントネーションも日本語とは思えない、現代に残る古代遺産。
鴨さんも青森市に8年、弘前に4年住んだが、それでもわからないことが多々ある大変難解な言語である。
この津軽弁、他所の方言でもある程度共通する特徴と共通しない特徴がある。


まず共通する特徴。「方言には敬語が存在しない」
そして共通しない特徴。津軽弁語圏では若者も訛りが結構キツイ」


伊瀬谷四季が一定レベルの津軽弁話者であること。これは既に作中でも描写されている。
(特に特徴的なのが「わや」。これを使うことから青森市出身であることがほぼ確実である。)
青森市津軽弁語圏でも特に歴史の浅い街なので比較的訛りの弱い街である。
が、それでも(キツさの大小はあるにせよ)当然のようにサラリーマンの若者も、女子高生も、小学生ですら津軽弁を話す。


そこで問題になるのが、敬語が存在しないことである。

津軽弁語圏ではそもそも敬語を使う文化がない。若者がおばあちゃんの接客をするときもそのまま話す。
だが若者が先輩や上司など直属の目上と話すとき。ここだけはそうもいかない。

敬語を使うために標準語を使うこと、これはスゴイ=シツレイにあたる場合がある。(大変によそよそしいので)
でも敬語を使わないとなめとんのかと怒られる。

そうして困った若者はコテコテの津軽弁を無理やり敬語にする。


ここで一つ例文を出す。

「〇〇したら駄目」

これを津軽弁にすると、
「〇〇せばまい」

だが、これを敬語にすると
「〇〇せばまいです」
という表現にはならない。
そもそも津軽人は「まいです」なんて言えるほど活舌がよくない。

そこで若者がこれを無理やり敬語にするとこうなる。
「〇〇せばまいっすよー」


ほらいきなり伊瀬谷四季っぽくなった。
なったと思わない?

こうして伊瀬谷四季は津軽弁社会の中で生き抜く術としてあの語尾になっていったのだ。



以上の考察から、推定される伊瀬谷四季情報。


1.伊瀬谷四季は小学校高学年か中学校の途中ぐらいまでは青森に住んでいた。
2.伊瀬谷四季は結構訛りがキツかった。


子どもが意識して敬語を使いだすのは小学校の中学年ぐらいである。
そこからある程度言葉の癖がつくようになるまで数年。
特にタテ社会の強くなる中学校で1年ぐらいは過ごしてるのではないかと予想。

訛りの強さだが、作中に出てきた感じだといかにも青森市民なライト津軽弁を話している。
だがこの程度の訛りだとそんなに敬語変換には苦労しない。
これは東京に引っ越して訛りがちょっと抜けた結果なのではないか。
10代前半の多感な時期に住む地域が変わると言葉も結構簡単に変わってしまう。
というかそもそも幼少期に祖父母と近くに住んでいたら[要出典]、青森市の中ではかなりキツい方になるはず。


最後に、明日から役に立たない知識で終わろうと思う。
ハイパーメガMAXは津軽弁「のれそれ」



以下全然関係ない話

伊瀬谷四季くん同郷なので応援しています。
SideMのライブ2日目行ったけど楽しかったです。
来年も行きたいなあ。
HIGH JUMP NO LIMIT聴けてよかった。
作曲の光増ハジメさんのファンなのでSideM全然知らない頃からCD持ってたんだよね。